「あるがまま」の再考。端っこに追いやってしまった自分を取り戻すこととは

「あるがまま」でいたい。

僕は確かにそう言った。この時の僕があるがままをどう考えていたかと言うと、だいたい以下の通り。

  • 飾らず、かっこつけず、自然体でいる。
  • 好きなことに真っ直ぐな姿勢でいる。
  • 誰かの指図ではなく、自分で考えて、自分の価値観で動く。
  • 人の目を気にせず、思った通りのことをする。

これはいま思ったことだけど、「あるがまま」の対立として「なされるがまま」を想定しているのかも。

誰かの影響で動くのではなく、自分の意志で動きたいと思っている。そんな僕に、新たな視点をくれた文章がある。

長いけど、以下から引用させていただく。

今流行りのマインドフルネスに物申す。29年間ネイティブアメリカンと共に生きてきたぼくが伝えたい、本当の「あるがままに生きる」とは?(Blue Soil Consulting)

ーあらためて、「あるがまま」であるとはどういうことなのでしょうか?

「あるがまま」と「なんでもあり」の違い

みんな「あるがまま」というと、「なんでもあり」なんだ!と勘違いしてしまうんですよね。

これは全然別ものです。あるがままを取り戻す上で、一番の問題なことはぼくたちは「あるのにないことにしている」ことがとても多いと言うことなのです。

実は「あるがまま」であるということは、「合意された日常」のビリーフシステムの中で「周縁化」してしまっている自分の一部を取り戻すという行為なのです。

心理学的には影(シャドー)と言ったりしますし、ぼくのワークでは「モンスター」と言ったりします。自分の中で大きくモンスターに化けてしまっている不安、恐怖、怒りなどの感情を抱かせている対象こそ、自分が周縁化してしまってまだ受け入れられていない自分の一部なのです。

人生の中に出てくる登場人物は全て、自分の投影です。「悠 一」の舞台にはキャストがたくさんいて、みんながそれぞれ演じていますが、スポットライトは一つしかなく、「悠 一」と周辺にしか当たっていません。

他は影になっていて、つまり「周縁化」しているわけですが、それは普段自分が意識してない自分自身なのです。このたくさんの自分たちを取り戻すことによって、自分は本来のあるがままの自分になっていくのです。

ここから僕なりの解釈を綴る。

まず「ビリーフシステム」だけど、おそらく今までの人生や普段の生活の繰り返しで刷り込まれた「こうである」という認識のことを指しているはず。

次に「周縁化」だけど、「周縁 ≒ 周り、縁(ふち)」だから、自分の中で本来は大事な部分を周り(縁、端の方?)に追いやってしまっている、という意味だと思う。

だから端的に説明すると、「あるがまま」であるとは、刷り込まれた「こうである」という認識を取っ払って、本当は大事なのに端っこに追いやってしまった自分を取り戻すこと、だ。

この考えに沿うなら、冒頭で挙げた僕なりの「あるがまま」は、大事な自分を取り戻す以前に「自然体でいる」などと言っているから、実際は「あるがまま」ではないかもしれない。

僕は「なされるがまま」の対立として「あるがまま」を捉えたけど、たぶん誰も本当の自分なんてわからない。

本当に自分が望むことがわからない状態で「あるがまま」でいようとしても、もしかしたらそれは大事な自分を損なったまま、自らに「なされるがまま」の状態かもしれない。

だから(繰り返すけど)、まずは本当は大事なのに端っこに追いやってしまった自分を取り戻すことから、なのかもしれない。

答えのないむずかしい問いに、あえて答えっぽいものを最後に書くとすると。

大事なのは「気づく」ことだ。(本当の自分に、気づく。とか。)

実は最近いろいろ読む本には、「自覚」「知覚」「気づき」の大切さが繰り返し出てくる。

先ほど紹介した文章にも、「フラート」という言葉が出てくる。別のエントリーでまたお話ししたい。