無我でありたい。
我(アートマン)とは、永遠に変化せず(常)・独立的に自存し(一)・中心的な所有主として(主)・支配能力がある(宰)と考えられる実在を意味する。
無我は、あらゆる事物は現象として生成しているだけであり、それ自体を根拠づける不変的な本質は存在しないという意味の仏教用語。
出典:「無我」ーWikipedia
具体的にはこうだ。
- 他人と自分を比較したくない。
- 他人に嫉妬したくない。
- 何かに固執したくない。
- 自然体でいたい。
- 自分の人生に集中していたい。
- 自分を好きでいたい。
- 理屈ではなく体感で生きたい。
これを無我と言うのかはわからないけど。
残りの人生で、一瞬でも多く幸福を感じていたい。
そのために必要だと思うんだよな。
<追記>
「〈神道〉のこころ」で著者の葉室さんは「我」を理屈と仰っていた。
この言葉を受けて「理屈ではなく体感で生きたい」を加えた。
理屈で生きていると、うまくいかないことに対して「なぜうまくいかないのか?」と考える。うまくいったことに対して「これこれこうだから、うまくいったのだ」と考える。
本当はそうではないかもしれない。
それは誰にもわからない。
「なぜうまくいかないのか?」と考えると疲れるし、「これこれこうだから、うまくいったのだ」と考えると、成功に固執する。
何はともあれ、理屈で生きるのは疲れる。肩や首が凝る。
僕はもっと軽やかに生きたい。