D2Cに必要なのは偏狭な愛なのだ。

D2C関連のシステムを開発したり、事業者を支援する会社がクライアントだ。

期待を作ることと、その期待を超えること。」ですこし触れたけど、僕自身スムージーブランドを立ち上げているのもあり、実体験をともなってD2Cについて思考する機会が多い。

世の中にはいろんな定義があふれているから、今さら僕が定義づけをする気はない。でもごくごく個人的な感覚でD2Cとは何かを説明するなら、僕は以下だと思う。

D2Cとは「偏狭な愛を本質をブラさず誠実に広げていくこと」

実際はDirect to Consumerの名前の通り、ブランドと顧客のコミュニケーションが変わったことや、データドリブンでマーケティングができること、世界観を作り込むブランディングなどにフォーカスされることが多い。

でも前提として、経済成長に期待できない日本の現状で、D2Cが大きな市場のシェアをとろうとしたり、マスを狙ってがんばるのはそもそも違う気がしている。(あくまで個人的な意見です。)

今からアパレルD2Cブランドを立ち上げ、ユニクロを超えるってのはなんか違う、と思うのだ。(経済成長著しい海外で展開してマスを狙います!っていうのは、もしかしたらあるのかもしれない)

では、マスでないなら何かと言われればニッチなわけで。

ニッチを作るには、「市場規模から逆算」みたいなアプローチではなく、ごくごく私的な、つまり偏狭な愛からスタートするんじゃないかな。と思うのだ。

エフェクチュエーションとコーゼーション」の話にリンクするかもしれないけど、市場などの外部環境から考えてブランドを作ってもD2Cブランドは作れなくて、「偏狭な愛」みたいな個人的なものが拡大していく過程で共感する人が増えて、顧客が増えて、結果的にD2Cブランドと呼ばれるまで成長するんじゃなかろうか

そして拡大の過程でも本質をブラさず(たとえば偏狭な愛を貫くとか)、誠実に顧客と向き合って広げていくことが、D2Cなんじゃないかと思う次第です。

いや、もちろん美しいストーリーに仕上げているし、こればかりがD2Cではないかもしれない。僕自身、投資を受けず、自力でブランドを広げようとしているからバイアスがかかっているかもしれない。

でも、まあ、結論めいたものを言うと、D2Cに必要なのは偏狭な愛なのだ。