このBlogをはじめてすぐに読んだ本、「1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法」は、期せずしてタイムリーだった。
今まで本書を通じて「21世紀型の問題解決=止揚」や「考えることで全体像を明らかにする」ことを考えてきたけど、実は幸福に関して言及している箇所が何個も出てくる本でもある。
ここでは本書の引用をもとに、著者の3つの視点で幸福について考えを巡らせてみる。
執着しない
複数の選択肢がある人は一つの案に執着しないから幸せでいられる。幸福が人間の目的なら、 真の知性とは、囚われない心を持つ力である。
目的を設定して、その目的に向かって努力する。ビジネスだけでなく、スポーツや勉強においても当然とされる姿勢だ。目的を設定しない人を批判的に見る風潮すらある。
しかし、目的ありきのコーゼーションがある一方で、手段ありきで目的設定をしないエフェクチュエーションという戦い方があることも学んできた。
「エフェクチュエーション(手段ありき)あるいは無我夢中」でもその辺りのことを書いたけど、予測不可能な現代において、そもそも「目的設定をしない」というのも一つの戦い方だと思う。
あるいは目的設定をするとして、目的を謳うことは、ある意味「未来はこうでなくてはならない」と宣言することに似ている。そこまで大袈裟じゃなくても、目的は基本的にはブレないという前提がある。
でも、目的を設定しても、その通りにいかないケースは多い。
想定通りに行かなかった時、その目的に執着しないで生きられるかどうかは、個人の幸福を考える上でとても大事な気がする。
「こうでなくてはならない未来」なんて、実在しないし。
想定していた一つの案がダメでも、代替案をしっかり考えておくことが大事なのだ。一つの案に執着はしない。
自分の天才性に気づく
私は常々、人生の幸福を決める要素の 50% は自分の天才性に気づき、それを発揮しているかどうかだと思っている。残りの半分は人によっては快楽かもしれないし、安らぎかもしれないし、アドレナリンかもしれないが、少なくとも 50% は「天職」に就けているかどうか だと思うのだ。
著者は幸福を決める要素の50%は、「自分の天才性に気づく」ことだと言う。
僕は『ストレングスファインダー』で診断した結果、自分の才能を「着想」だと思っている(信じている)。
着想にまつわる話は別の機会に譲るとして、いったん「着想」が才能だと決めてしまうと、いろいろと楽しいことに気づく。
独立して5年ほどやっているオウンドメディアの運営も、コンテンツづくりも、着想が活きるシーンは多い。
このBlogでも、よく別のエントリーのリンクを貼っているけど、それは僕の脳内で発火した着想の表現の一つだ。
一方で、僕は着想して満足するところもあって、着想を具現化する筋力が弱い。このBlogは一つ筋トレの役割を担っていたりするけど、今後は具現化力も高めていきたい。
・・・話は逸れたけど、自分の天才性に気づき、その天才性をもとに仕事や趣味を選んで無我夢中になれるのは、とても幸せなことだと思う。
一体性を重んじる
幸せとは物量のことではなく一体性のことである。人と心がつながったとき、もしくは期待と実態が一致しているとき、人は幸福を感じられる。
最後は一体性についてだ。
著者は「幸せは物量ではなく、一体性のこと」として、以下の2つの例を挙げている。
- 人と心がつながったとき
- 期待と実態が一致しているとき
ちょっと話は変わるけど、以前『世界でひとつだけの幸せ―ポジティブ心理学が教えてくれる満ち足りた人生』を読んだ時、「快楽と至福は違う」といった考えに出会った。
端的に言うと、瞬間的な幸せは快楽で、永続的に続く幸せが至福というものだ。(記憶に頼っているけど、たぶん合っているはず。)
先の著者の表現だと、何となく瞬間的なイメージ ≒ 快楽だけど、これを至福に置き換えるとこうなると思う。
- 人と心がつながり続ける(ex. 仲のいい夫婦や親友など)
- 期待と実態が一致し続ける
前者は比較的簡単に想像できるけど、後者はどんな状態だろう。しばらく考えたけど、答えが出なかった。
期待と実態が一致し続けたら、とても幸せなことのように思う。今後のエントリーで考えてみたい。
最後にまとめる
順番を少し変えて編集して、最後にまとめることにする。
幸福には、以下が大事だ。
- 自分の天才性に気づき、それが活きる何かを無我夢中でやる。
- 自らの期待を実態を一致させ続ける。
- 人と心を通わし、つながり続ける。
- 思い通りにいかなくても執着しない。
今日はここまで!