ここではWithコロナ社会における「よりよい未来像」を考えみる。正直、まだ脳内の整理段階だ。
ちなみに昨日は、Withコロナ社会を前にした僕の個人的な所感(主に働き方について)を書いた。
ピックアップした安宅さんのBlogも貼っておく。
そろそろ全体を見た話が聞きたい2(ニューロサイエンスとマーケティングの間)
※ちなみに安宅さんは「イシューからはじめよ」で存じ上げていて、何度か落合陽一さんとの対談を聞いたりして、考え方に信頼がおける人だと思っている。
昨日の僕の話をサマっておく。
- Withコロナ社会は僕のようなフリーランス的リモートワーカーが増えるとリスク軽減の視点で良い。
- 企業も半リモートの正社員とリモートのフリーランスをバランスよく雇用することが必要かも。
- 環境や組織づくりにおいても、両者が働きやすいようにルールを変えたり、必要に応じて集えるように環境や組織のルールを作ればいい。
- 店舗展開はWithコロナ社会に即したアイディア・戦略を生み出す必要がある。
印象に残った安宅さんの言葉
Blogでは気になる言葉がたくさん出てきたのだけど、特に以下が印象に残っている。
企業価値はスケールよりも「変えている感」 + 「よりよい(withコロナ時代に即した)未来を生み出せている観」に
僕は事業家として、今までもこれからも「どんな会社をつくり、社会にどんな価値をつくるか」はずっと考えていることなんだけど、常にスケールは固定観念的に頭の中にあって、しかし一方で身も心もそれに抵抗していて(笑)、どうしても会社規模を大きくする取り組みができなかった過去がある。
特にスタートアップ的な世界に足を踏み入れそうになった時は(資金調達しようとしていた)、「世界を変える」とか「XXX市場でNo.1になる」みたいなことを全然自分の言葉じゃないのに、口にしていたと思う。
しかし、その頃から5年ほど経ち、今は冷静に考えることができる。スタートアップ的な戦い方は選択肢のひとつでしかなく、エクイティではない形で資金を調達して、指数関数的じゃない成長曲線を描くことはできる。
さっき「抵抗」と書いたけど、おそらく僕は会社を大きくすることに抵抗していたんじゃなくて、単純に「戦い方」に抵抗していただけかもしれない。たぶん、そう。
最近で言うと「幸福とは?」とか「無我夢中が大事なんじゃないか」とか、「21世紀型の問題解決」とか、この辺も僕の葛藤の表れでもある。
そして「僕はどう生きるか」では以下のように言っている。
超簡単に今の僕の状況を文章にすると、「1人で稼いでいる」だ。独立前に望んでいた「時間と場所の自由」は十二分に味わっている。
チームをつくると自由が失われる恐さもあるけど、一方でお互いを本当の意味で自由にするチームをつくることはできると思っている。これは直感だ。
この心境であることを前提に、あとは自分が仲間と登りたい山を選び、仲間を口説いて一緒に登るってことかなと思う。
簡単に言うと、仲間と山を登ろうとしているのだ。
今の僕が思うに、僕は「ただ、会社を大きくする(スケールする)こと」に興味を持てないだけだ。つまり売上や利益、会社規模、雇用が目的化することに興味がない。
でも、安宅さんの言葉を借りるなら「よりよい未来を生み出す」ことには興味があるし、心からコミットしたい。その結果、売上や利益、会社規模が大きくなるのは素晴らしいことだと思う。
僕が思う「よりよい未来像」とは
では、僕はどんなよりよい未来を生み出そうとしているのか。それがひいては登る山を決めることにつながるし、仲間を口説くためにも必要な考えだ。
BeforeコロナとWithコロナで社会は大きく変わる。
今まで僕から出てこなかった「よりよい未来像」を、これを機会に改めて整理したい。
まず大前提として、
- 僕は人々がウェルビーイングな状態であることを望んでいる。ウェルビーイングをここで詳しく話さないけど、端的に言えば「心地よく生きている状態」だ。そういう人がなるべく多い社会をつくりたい。それが僕が思う「よりよい未来像」だ。
そのために以下が課題意識としてある。(いったん出たものを列挙する。)
- 個の多様性を認め合い、多様性が失われない社会をつくる必要があると思う。(あらゆる「対立」をなくしたい)
- 多様な個の居場所が必要だと思う。(ここでの居場所とは、経済的&心理的に安心できるつながりのこと)
- 人々がウェルビーイングであり、かつ健康であることが大事だと思う。(補足:「ウェルビーイングであり、かつ健康」と書いたのは、過剰な健康意識は時にウェルビーイングでないと思うから)
- 都心にいる人々が自然に触れる機会をもっとつくるべきだと思う。
How toについては、また別の機会に譲ることにする。